親孝行したいけど「照れくさい」という人へ…照れくささの脱却方法

みうらじゅんさんの「親孝行プレイ」という本を読みました。

もう10年前の作品ですが、みうらさんなりの「親孝行」に対する考えが面白いです。

「親孝行しないといけないと思っているけど、照れくさくてなかなか踏み出せない」と思っている人には読んでほしい本です。

私もそんな思いを持っていた一人でした。

この本を読んだきっかけ

私がこの本を手に取るきっかけとなったのが「父親のガン」の発覚。

ちょうど私が入籍をし、両家の両親との家族旅行も兼ねた「ハワイウェディング旅行」を旅行会社と計画していたところでした。

「やっと親孝行ができる!」というタイミングで父は病気になってしまいました。

結果、一番楽しみにしていた父のハワイ行きがなくなってしまったんです。

その時浮かんだのが

「親孝行、したい時には親は無し」という言葉。

まだ父は亡くなってはいないのですが、この言葉の意味がわかった瞬間でした。

「照れくさい」が邪魔をして

私はこれまで「照れくさい」を理由にあまり親孝行をしてきませんでした。

社会人になってからはプレゼントをしたり、「親孝行」的なことはちょこちょことしていましたが、小学校のころに発症した「反抗期」をだらだらと引きずっている状態が長いこと続いていました。

でも、海外旅行へ行ったことがない父が楽しみにしていたハワイに行けなかったこと、

毎日疲れていても病院へ出向き、一日中父に付き添っている母のことを思うと

「そうだ、いつか人は死ぬんだった、親もいつかは死ぬんだ…もう後悔はできない」とやっと心から悟ったのです。これは一肌脱がないといけない、と。

「照れくさい」を脱却するために

『親孝行プレイ』とは、「心が伴ってからでは親孝行も手遅れになることがある」をコンセプトに、プレイの一環として親孝行を実践しようというものだった。そう、SMプレイとかと同じようにだ。

引用元:書籍「親孝行プレイ」

この考え方は、ひねくれ者の私にとってぴったりでした。

長年連れ添ってきた「照れくさい」という思いを脱却するためには「親孝行を『プレイ』だと思う」ということ。

そうすると気軽にレッツ・プレイ!と親孝行をしたくなるし、「親孝行をしなさい」と先人に説かれているような強制感もありません。

 

私は人から「こうしなさい!」と指示されるのがちょっと苦手です。「親孝行しなさい」という社会の教えもしかり。

頭ではわかっているものの、強制されるとなかなか動き出せない。簡単なことだけど、頑固な私にとってそれが悩みでした。

でも「ならば、演じればよい!」というのがこの本の考え方。

心が伴わなくてもまず行動。まずはプレイだと思って「やってみること」です。

心は後からでも伴ってくるから。

本書にはそんなプレイのテクニックの数々がみうらさんなりの視点で描かれており、参考になります。

最後に

家族のだれも口にしませんが、父の「余命」が少し見えてきた気がします。ものすごく悲しいけど。

また、疲れた母を見るのも辛いです。

崖が近づいてくるのを止めることは出来ないけれど、親の体勢を180度クルッと回し、(後ろ向きに歩かせ)「いやぁー昔、こんなことがあったねー」などと、親と向き合いながら会話することにある。

引用元:書籍「親孝行プレイ」

ここで言う「崖」とは「死」のこと。

人は一人で死ぬ宿命にあるけれど、それを少しでも誤魔化し、和らげることも親孝行。

最近した親孝行プレイは「娘(私)の手料理を食べさせること」。

父の世話で忙しい母と食が細くなった父が喜んで食べてくれました。いざ親孝行プレイをやってみると私自身も嬉しくなるものですね。

大変な状況で不謹慎かもしれませんが、父の病気をきっかけに家族が一丸となっていて、それもちょっと嬉しかったりします。

「照れくさい」を理由に後で後悔しないために、親孝行プレイから始めてみませんか。

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